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あしあと

    日野町のプロフィール

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    時代の変化に対応しだれもが輝きともに創るまち日野

    近江日野商人館

     

    滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5km、南北12.3km、総面積117.60平方kmの町です。霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほんしゃくなげ」が咲き誇る、無限の大地が育んだ自然環境に恵まれた町です。
    この地に人が住み始めたのは古く、今から約1万2千年前と言われています。旧石器時代の終わりから縄文時代の始めころ狩猟や採集生活を、さらに弥生時代には稲作も始められていた記録があり、飛鳥時代には百済の文化が持ち込まれました。
    やがて、室町時代、蒲生氏の城下町となって大きく変貌を遂げ、歴史の表舞台に登場してきました。町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は400年以上この地を治め、商工業の保護・育成に努力し、鉄砲や鞍などを特産品として生み出してきました。
    その蒲生一族の中で、いまも日野の人々の心に生きているのが蒲生氏郷公であります。信長の娘冬姫を妻とし、その後秀吉に従った氏郷は産業政策においても秀でており、日野に楽市楽座を開きました。その後松阪12万石、会津92万石の藩主となりますが、日野の人々はなおも慕い続けました。

     

    蒲生氏郷公

    江戸時代に入って、漆器や薬売りの行商から発展した日野の商人は近江商人の基礎を確立し、その中心の町として繁栄、全国各地に商圏を伸ばす近江日野商人として名をとどろかせていきました。
    明治22年に町制を敷き、昭和30年に郡内の6ヶ村と合併し現在の行政区となっています。

    町並み

    平成9年に農業公園「ブルーメの丘」を、平成12年には、森林体験施設「グリム冒険の森」をオープンし、都市と農村とのふれあいを目指した施策展開を図っております。
    中世ドイツの農村を思わせる公園であるブルーメの丘は、文字どおり花の丘として四季を通じて花が楽しめるほか、パンやソーセージづくりの体験や、近江牛のバーベキューを堪能するなど、家族揃って大いに楽しめる観光スポットとして、県内はもとより京阪神や中京方面から多くの観光客を受け入れております。

    滋賀農業公園ブルーメの丘

    また、グリム冒険の森は森林の持つ多面的な役割を多くの人々に知って頂くため、林業構造改善事業の一環で設置したものであり、コテージやバンガロー、オートキャンプ場のほか野外ステージや森林浴ができる散策道も整備、家族連れや青少年に大変好評です。
    日野町は「時代の変化に対応しだれもが輝きともに創るまち“日野”」をキャッチフレーズに、先人から受け継いできた精神や知恵を大切に生かし、福祉の向上、青少年の健全育成、さらには安心で安全・元気なまちを目指し、持続発展可能な「自律のまちづくり」に取り組んでいます。

    グリム冒険の森

    町民憲章

    昭和33年3月28日告示

    • 1,わたくしたち日野町民は、健康を増進し体位の向上につとめましょう。
    • 1,わたくしたち日野町民は、教養を高め文化の発展につとめましょう。
    • 1,わたくしたち日野町民は、生業に励み豊かな生活を営みましょう。
    • 1,わたくしたち日野町民は、よい伝統を守り進取の気象を養いましょう。
    • 1,わたくしたち日野町民は、平和を愛し住みよい町をつくりましょう。


    町章

    日野町の頭文字である「ひ」を図案化し、全体の円形は町民の“和”を、左右に伸びた翼は将来への飛躍発展を願ったもので、町民より募集し、昭和30年3月16日制定されました。

    町の花

    ほんしゃくなげ

    五月の陽光に映えて咲く姿は見事なもので、古くから町のシンボルの花となっています。
    昭和49年1月20日指定

    町の木

    ひの木

    ひのきはひのの木と語呂が通じるところから、日野町の母の木として親しまれています。
    昭和49年1月20日指定