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あしあと

    青雲之志 町長コラム(6月)

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    日野の聖徳太子

     今年は聖徳太子薨去(こうきょ)1400年の節目の年ということで、近江ゆかりの地とされる東近江地域2市2町で「近江の聖徳太子魅力発信事業」が行われています。先月21日には太郎坊宮(たろうぼうぐう)にてオープニングセレモニーが開催され、翌22日には近江八幡市の観音正寺(かんのんしょうじ)にて秘仏のご開帳が行われ、大いににぎわいました。

     さて、町内にも太子様とご縁のある寺社などが多数あります。太子様は、四天王寺(してんのうじ)を建立するために綿向山山麓の木材を活用され、それに感謝するため多くの寺社を建立されましたが、その一つが松尾の「正明寺(しょうみょうじ)」です。本堂が御所の清涼殿(せいりょうでん)を下賜(かし)されたものであることからも、朝廷との深いつながりを感じることができます。

     中山の「金剛定寺(こんごうじょうじ)」は、太子様が霊木(れいぼく)に十一面観音の座像を刻み、これを安置する寺院を建立したのが始まりとされています。また、太子様は綿向山や竜王山を貴い山としておまつりし、水を守る十一面観音を刻まれました。当初は建立したお寺に安置されましたが、後に別院であった「西明寺(さいみょうじ)」に移されました。

     悪さをする人魚を太子様が供養し、石と化した人魚が往来の安全を守る神としてまつられたものが小野の「人魚塚(にんぎょづか)」です。杉にある「大屋神社(おおやじんじゃ)」は、太子様が蘇我馬子(そがのうまこ)に命じて四天王寺の用材確保のために杣人を呼び寄せ、安全を祈願して勧請(かんじょう)したのが始まりです。川原の「妙楽寺薬師堂(みょうらくじやくしどう)」の薬師如来像(やくしにょらいぞう)は、太子様が病気になった馬子の平癒(へいゆ)を祈って刻んだものと言われています。

     このように町内にはゆかりの文化遺産が多数あります。近江日野商人が活躍した江戸時代、蒲生家が活躍した室町・戦国時代のみならず、それ以前の時代にも多くの魅力的な歴史や文化があります。当事業を契機に日野町のもつ文化遺産の奥行きとその魅力が再認識されることを願います。

    堀江町長の写真です

    広報ひの2022年6月号掲載
    日野町長 堀江和博

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