青雲之志 町長コラム(3月)
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今年も2月7日から3月7日にかけて、大窪から村井、西大路の街並みにおいて「日野ひなまつり紀行」が開催されています。期間中は各家に伝わる「お雛(ひな)様」が桟敷窓のある家々に飾られています。大きなイベントや飲食物の提供などは控えられていますが、NHKや民放でも取り上げられたこともあってか、ソーシャルディスタンスが確保された中で日野の町をゆっくり散策される方のお姿をよく見かけました。コロナ禍においても、創意工夫をして開催された実行委員会の皆様、ご協力いただいている皆様に感謝を申し上げます。
ひなまつりの起源を調べてみますと、その歴史は古く、平安時代中期にまでさかのぼります。その頃の人々は上巳(じょうし)の節句に、「無病息災を願う祓(はら)い」の行事をおこなっていました。3月3日に陰陽師を呼んで、天地の神に祈り、季節の食物を供え、自分の身に降りかかる災難を生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて、川に流しました。この厄払いの様子は、今でも京都の下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に見ることができます。その後、この紙のひな人形が発展し現在の豪華なひな人形になったとされています。
おまつりの起源をたどると、さまざまなことが見えてきます。人々の暮らしは今以上に厳しく、戦乱や疫病(えきびょう)、飢饉(ききん)が頻発した時代もありました。しかし、その中でも、人々は、神仏を崇敬し、世の安寧と息災の願いを込め、おまつりを続けてこられました。こんな時代だからこそ、おまつりの意味、さまざまな行事の本来持つ意味をあらためて見直すことが大切ではないでしょうか。日野の街並みを彩るお雛様の意味、そこに込められた想いを深くかみしめたいと思います。

広報ひの2021年3月号掲載
日野町長 堀江和博