中野城跡(日野城)
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中野城跡
大永3年(1523)の音羽城廃城により、蒲生氏の新たな居城として原野であった中野に築いたとされ、俗に日野城とも呼ばれています。
中野城は、旧日野川へ突き出た場所に築かれた、周囲に大規模な堀と土塁を巡らせた約100メートル四方の城館です。
その北側には、家臣を住まわせたと考えられる、東西8町(約870m)・南北6町(約640m)の武家屋敷地を設け、堀と土塁で囲んでいたとされます。
さらにその西には、町人たちが住む町屋が整備されたと伝えられます。
蒲生定秀、賢秀、氏郷の居城となり、蒲生氏郷の生地として、また本能寺の変の際に賢秀が氏郷と協力して織田信長の妻子を保護した城とされています。
天正12年(1584)に氏郷が伊勢へ転封した後は使用されず、元和6年(1620)に仁正寺藩2万石の大名としてこの地に入封した市橋家も陣屋(藩邸)を城の外側に築いたため、中野城が城として再び使われることはありませんでした。
現在、土塁や堀の一部、井戸跡などが残るほか、土塁上には市橋家ゆかりの神社が建っています。
蒲生氏郷のご城主印と、御城印は近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」または日野まちかど感応館にてご購入いただけます。(1枚300円)