信楽院・蒲生氏郷公ゆかりの地
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信楽院 蒲生家代々の菩提寺
浄土宗寺院として知恩院に属しており、蒲生家の菩提寺として知られています。
寺伝によると、貞和5年(1349)に信楽庄(甲賀市)にあった信楽寺を移したことに始まるとされます。さらに音羽城・中野城内に移転した後、氏郷の伊勢転封により衰退しますが、慶長2年(1597)現在地に移り再興されました。
現在の本堂は、元文2年(1737)から4年にかけて建立され、同5年に入仏供養を行い、寛保3年(1743)に高田敬輔による天井絵が完成したもので、滋賀県の有形文化財に指定されています。
また、蒲生貞秀や定秀ゆかりの品や、蒲生氏郷が初陣の際着用したと伝えられる甲冑、氏郷の遺髪塔と伝えられる石塔等が伝えられています。

本堂には、日野町出身の画家高田敬輔の描いた天井画があります。

高田敬輔について
日野商人は、商いのかたわら、さまざまな文芸活動に取り組みました。
その内容は、国学・儒学・心学などの学問、俳諧・狂歌・和歌などの詩歌、能・歌舞伎・浄瑠璃などの演芸、茶の湯、陶芸、生花、絵画など多岐にわたっています。
これらの文芸活動は、商人自らの交友活動を広げるだけではなく、新たな学問や文化を日野へもたらす原動力となりました。
その代表的な人物として、信楽院に残されている天井画を描いた、日野商人から絵師へと転身し、日野画壇の祖となった
高田敬輔(1674-1755)が挙げられます。
京狩野に師事し、雪舟の技法を学んだ敬輔は、大胆な筆致と墨の濃淡を駆使した画技を用いて数多くの秀作を残しました。
