鳥居平城は、築城年代が定かではありませんが、16世紀頃のものであると考えられ、周辺一帯を支配した小倉家が有したと言われる城です。
▲鳥居平城跡 遠景
嫡男が居なかった小倉実光の死後、日野一帯を支配する蒲生家から蒲生実隆を養子として迎えた際に小倉家で内紛が起こり、その内の一派が鳥居平城に籠ったと伝えられています。
▲曲輪と曲輪の間の堀切
鳥居平城跡は、東西800メートルに渡って大小20あまりの曲輪や土塁、堀切が残されており、個々の曲輪が独立した小さな城のような様相です。また、城の西側に比べて東側は作りが簡略化されており、耕作地あるいは駐屯地として使われていたと考えられます。
▲周囲に土塁が設けられた曲輪跡
開庁時間 午前8時30分~午後5時15分(土日・祝日・年末・年始を除く)