鎌掛城は建武2年(1335)に中野左衛門尉清信が砦として築き、文亀2年(1502)頃、蒲生秀行が修築したと伝えられています。
日野町南東部の鎌掛地区にあり、国の天然記念物に指定される「鎌掛の屏風岩」がある城山一帯に位置しています。
▲鎌掛城跡 遠景
蒲生惣領家の後継者争いの際には、六角定頼の攻撃を受け落城した音羽城から、蒲生秀紀が退去したとされており、その後に秀紀はこの城で毒を盛られた後に自害したと伝えられています。
また、蒲生氏郷に家督を譲った蒲生賢秀が隠居したのもこの城であると伝えられており、この城で死去したとされています。
▲伝本丸跡跡に残る土塁
鎌掛城は音羽城の支城として築城されたと伝えられ、湖東地方でも有数の規模を誇る山城です。尾根上には複数の曲輪が設けられ、岩盤を削って造った土塁や、籠城も行えるよう石を積み上げて造った井戸跡も残っています。西方の山麓には「山屋敷」と称される館跡が残されています。
※時期によって入山が制限され城跡への通行が規制されますのでご注意ください。
▲山屋敷(山麓遺構)に残る長大な土塁・堀
蒲生賢秀のご城主印と、御城印は近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」または日野まちかど感応館にてご購入いただけます。(1枚300円)
開庁時間 午前8時30分~午後5時15分(土日・祝日・年末・年始を除く)